書くことは、話すことである

writing

あなたは、話すことが得意ですか?

また、書くことが得意ですか?

私は、両方苦手です。

人に何かを伝える時、言葉が出てこない、なんて言ったらいいかわからないことが多々あります。そして、わかりやすく話す人を目の当たりにすると、「この人すげーな」と感心するばかりである。普段は、親しい友人や身内と話すだけなら誰にでもわかりやすく伝える技術がなくても、会話は成立してしまうものだ。例えば、

「あそこの角にできたラーメン屋行った?」

「待ち合わせは、スーパーの駐車場でいい?」

いつもこんな、詳しく説明のいらない感覚的な話が私は大多数を占める。ただ、その努力のいらない会話術は、初対面の相手と対峙した時、言葉に詰まる場面が早々に訪れる。いつものやつといつもどおり、感覚的に話をすることは、言葉にすること、すなわち言語化することの成長を妨げると感じた。

それでは、その弱体化してしまった言語化能力を鍛えるにはどうすべきなのか?

と私は考える。それは

「初対面の人と積極的に話すこと」

とストレートに答えを出したがそんな機会は稀にない。そして、私なりに考えついたのが

「ブログ、日記を通して詳しく自分のこと、思ったことを書くこと」

という答えに至った。誰も私のことを知らない人がこのブログを読み、納得できる文章やわかりやすい内容が書けるようになればそれは、自分にとって言語化能力の向上を意味するものだと勝手に思いました。

今この文章を書いている時点でも、何度も手が止まり休んでは書き、書いては消しの繰り返しである。頭の中の文の構成、または着地点が定まっておらず、非常に文章を書くことに難しさを感じている。まさに、私の書くことそれは、言語化能力が劣っていることを証明している。

ただこの苦しさや、全然スムーズにいかないもどかしさは当たり前と理解し、力ずくでもこれからは、空いた時間があればこのブログを書いていきたいと思っている。それは自らの言語化能力のレベルを上げることであり、初対面の人とのコミュニケーション能力をあげることであると私は解釈する。

最近は、暇な時間に小説を読みことがあるが、読んでいると

「誰がどのような状況で何を感じていて、どんな表情をしているのか」

が文を読んだだけで鮮明に自分の頭に描かれていることがわかる。私にはインプットされていない言葉の表現、幅、深さがあり、プロの文章まで辿り着くことはほぼ無理だけど、参考にする表現はたくさんあると感じている。

そして読み手を引き離さない没頭感は、いったいなんなのか?今の私には、その答えもわからないから言語化もできない。これから私が文字を書き続けることでわかるかもしれないので、その課題は心に秘めておくことにする。

「書くことは話すことである」

とタイトルに書いたが、これを詳しく具体的に書くとすれば、誰にでもわかりやすく、情景を把握でき、人を惹きつけ、没頭させるような文章を書ければ、それはそのまま魅力的な話し方に繋がってくると私は思います。

ただ1日文章を書いたぐらいでは、うまくならないことは承知です。毎日やるとは言えないけどなるべくこのブログを更新していきたいと思っています。もちろんその理由は、魅力ある話ができる男になりたいからである。

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