今以上に成長したいと思うけれど、果たしてどうなりたいのか?
「成長したいならコンフォートゾーンを抜け出す必要がある」
こんな言葉を真面目に生きてる人間というか、自己啓発好き(私含め)なら誰にでも目にする言葉だとおもう。そしてコンフォートゾーンから出るために新しい挑戦、行動をしてきたのも確かである。そのおかげでどんどん違う仕事、違う職場も経験して、自分なりに強くなってきた。
ただ最近は、休日に暇を持て余すことが多く、モチベーションのかけらもなくなってきて、暇があればyoutube、tiktokを眺める時間が圧倒的に増えてきた。外食は、いつもと違う店で食べようとか頼んだことのないメニューを頼もうとか自分なりに考えていたものの、それでさえ非常にめんどくさく感じている。そして俺は考えた。なぜコンフォートゾーンから抜け出すのはだるいのかと。
こんなコンフォートゾーンがどうとか若い頃は考えたこともなかった。思春期の中、格闘技に出会い、毎日強者に憧れ、暇があれば練習、筋トレの毎日で充実の日々だった。毎日がコンフォートゾーンを抜け出す、強くなるために流れていった。しかし、格闘技に熱中した20代30代を終え、今はもうその熱を諦めたというか、諦めざるを得ない状況になった。はっきりいってポカーンと穴が空いてしまった状態である。これを書いてる今改めてそう思った。
格闘技を30代半ばで卒業し、なぜだか「勉強したい」をいう気持ちになって、資格を取ろうと思って、いっぱい資格をとってきた。FP2級、英検2級、mos、javasilver(プログラミング)、、、。勉強している時には、英語の先生になりたいとか、プログラミングの会社に入りたいとも思っていた。英語に関しては、結局テスト向けの実力しかつかないし、結構な時間を要しても、自分の納得のいくレベルにはならないと思い途中であきらめた。プログラミングは35歳くらいのラストチャンスでSES企業に入社したが、その後は経験不足で未経験エンジニアの需要なんてなく、社内にいるのが気まずくなり自主退職した。ただやっている最中はこうなりたいっていうビジョンがあったから集中してたし、この経験には全て納得しているし、後悔はない。
ただ、現状の今はそのような「資格取得」みたいな、ちょっと意味なさげなことと気づいてしまったからか、モチベーションが上がらず停滞しているというか、八方塞がりな自分がいる。あれをやってもだめ、これをやっても今からじゃ遅い、、、。なんかはっきりした目標も無くなってきた。
コンフォートゾーンを抜け出せない、また抜け出すのがだるいのは、そこが快適なんではなく、未来へのビジョンが明確でないから。
「コンフォートゾーンを抜け出したいというけど、あなたは抜け出してどうなりたいのですか?」
この問いに今の自分は答えられない。だから身体が動かない。テキトーなことを目標に掲げても、それに対して本当の気持ちがなければ心が入らない。だから今自分に必要なのは、明確な目標なのである。今休日にぼーっとしてしまうのが多いのは、無意識のうちにこれからどう生きるのかを探している途中なのかもしれない。それを焦らず探している大事な時間なのかもしれない。今一度自分の中で全てをリセットし、また集中できる時間のために、今を焦らず充電しようとおもう。
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